「再婚は愛か情か」キルケさんが言っていた。

男と女・あんなことやそんなこと

キルケゴールさんが言っている。

なにか納得してしまった。

結婚することは愛することではない。結婚することは、愛を義務づけることのむずかしさを理解することだ《キルケゴール》

一時は結婚って契約なのか?と思ったときもあるけれど、契約ってのもなんだよなぁ、と思って何か別な理解するための考え方があるんでないかな。なんとなく思っていたのだけれど、このキルケさんの考えに感心しました。

 

《ヒトリミもあい》は愛と言うよりも、、、いやもちろん愛し合って結婚を決めるものだろうとも思うのですけれど、昔は結納のときに初めて顔を姿を見た、なんて話がたくさんあって、さらには、サムライの時代はだったなら祝言(結婚式)のときに初めてとか生まれたときから相手が決まっていたとか、そんな例もたくさんあるものだから、最初から愛が湧くわけもなくそれでもなんとかかんとか暮らしてきたわけでしょ。

そう考えるとね。もちろん「愛はすべて」ってのもよいのですが、人と人が互いを選択し同じ屋根の下で暮らすようになり何十年も過ごすためにはどうも足りないような気がしましてね。

若いときはイイです。

愛でも性欲でもお金でも一緒に暮らす理由はたくさん見つかると思うのですけど一定の年齢を越えると「なんか違うんでね」って思うのです。

そうしたときに思い至ることが「人の情」なのです。

情というのはたぶん人間だけではなく動物も含めた生物全てが生まれ持って持ち合わせているものなんじゃないかな。ってそう思うのです。

 

情ってのは不思議なもので袖振り合えば他生の縁とも多生のとも言いますが、こう考えることができるためにはやはりもともと持っている「情」が必要なんじゃないかな。

そんなふうに思うわけです。

 

このブログではそんな《愛》もあるけれど、そんな《情》のある?情を感じられるお話を書いていきたいな。そのうえでどういう形で、再婚するのか、それとも結婚という形は別に取らなくてもいいではないか? その辺に筆者の関心が高いものですからそんな話を書いていく予定でありまする。

 

ではまた

 

 

《あとがき》

老夫妻がどこか可愛らしく散歩でもして日向ぼっこをしている。そんな姿をどこかで垣間見たりすると、うらやましくてね。もう自分には望めないからね。残念・・・

 

それだけです。

 

 

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