やもめ同志の再婚は・・・難しい?なんで?

やもめな再婚談義

やもめ同士(同志)の再婚というのは難しい、、、と考えがちだけれど、ちゃんと死別者、やもめ、寡婦や寡夫になった人同士だったら行けるような気がするのです。

そう、「ちゃんと」なのです。ちゃんとね。

しっかり深く沈み込んで思い悩んだ末に浮かび上がってきた人、じゃないないかな。って思うのです《やもめのモアイ》はね。

失礼ながら言いますけれど、怒られちゃうかもしれないけれど、そこいらへんの離婚者のバツイチさんとは思い悩んだ時間もその深さも全く違うのです。その深い沼の底から浮かび上がってきた我々ならば互いに互いのことを理解するのは一瞬のような気がするのは私だけではないはずです。

逆に分かりすぎてしまい先読みをして身を引いてしまうことが心配なのです。

その上でもう一度、やもめ同士の再婚、考えてみますね

死別やもめの再婚は、、、

あってもいいし、しなくてもよいし・・・

年齢にもよると思いますが、

40代、50代の初めての再婚話です。

無理しません。

(いつもそうですが《やもめのモアイ》は歯に衣着せません。言いたいこと書きます)

それこそ性欲バリバリの若さはもうないのです。ましてや死別を体験したやもめです。

色んな意味で達観しちゃっていますしぃ~(笑)

だからムリはしないのです。

ですから「ねえ結婚して結婚してぇ~~」ってくると引きます。100メートルくらい一気に引きます。だからもしどこかのやもめさんとお付き合いしている方はお気をつけください。

で、ふと思ったのですが、男やもめと女やもめ、寡夫と寡婦、未亡人と??女性のほうが死別者の呼び名が多いんですよね。その理由を調べてみると、昔は妻を亡くしたら後妻をもらうことが常識だったような、言ってみれば男社会だったから、ということだったらしい。

まぁそうかもしれない。男は独りで生きていくには女性よりも寂しがり屋だからかもしれないね。女性は子供や孫がいれば面倒くさい男は要らないのかもしれない。

よく耳にするようになったのは、「男は50歳から、生きている価値がない」って話。・・・そうか、そうなのか?そう考えてみればそうかもしれないし、そうであっても良いかもしれないなぁ、なんて変に納得している自分がいる。

そんなことを考えていて思うのは、最初の結婚が男にとって最も重要な相手だったのかもしれない。子孫を遺すことが男の最大の役割で、子供がある程度大きくなって女性一人でも育てることができるようになったら、育てていけるような財産、子育て資金を遺せば生物としての役割を終える。

言ってみれば、その資金を遺せないオスは50を過ぎても家庭に資金を供給するために生かされている。。。

のかもしれないよ。

その代わりといっては何ですが、50歳になるまでに男の本能に従って、あっちこっちでその本能を振り撒き続けるわけですな。。。

ふむふむ、私の若いときのあの行動は正しかったのである。と自己弁護するわけであります。

では、いまは?

上に書いたひとつの説とは逆になってしまった自分の立場はどうなんのよ?

なんてことを考えまして

やもめの再婚は・・・急ぐな

結婚というものを一度は経験したわけで、その結婚生活がどんなものかも理解をしたうえで、死別というものを体験してみると、もう一度、あの結婚生活?を考えたときには、賛否両論でありましょうなぁ、と強く思うわけであります。

再婚は急ぐな、慌てるな、催促すんな!!

あくまでも筆者の考えですよ。

もしまたどこかの誰かと付き合ってみて、「結婚、結婚」と催促されますと・・・《やもめのモアイ》は、男と女は愛情があれば、ってことも言われますけれども、いつも思うのですが、いまの世代?年齢にも寄るのでしゃうが愛より情なんですね。

結婚生活が長続きするのは情が深く深くなっていく必要があるのではないでしょうか?と思っていまして、恋愛の恋は長続きしないと思うのです。(テレビなんかでも言ってますね)愛というのもそうで、年月とともに変化していくものだ。とも思うのですよ。

そういうことがね、独りになってもなんとなくわかっているもんなですね。身体に染みつくって言うか?ですからね、「再婚の可能性あるかも・・・」と思うことがあってもですよ。急ぎたくないんですよ。


「まぁ、死ぬまで一緒にいてもいいかもな」と思える相手じゃないとね。そうなると恋とか愛とっていうよりも情なんです。ましてや催促されるとですね、腰が引けるんです。「え、いろいろ準備と言うか心がまえと言うかもうちょっと時間欲しいなぁ」と感じるのです。

お相手にもお相手なりの都合があると思いますよ。それこそ色んな都合があるんでしょうよ。そうであるならば、仕方がありません、縁がなかったということで・・・なってしまうのですね。

そんな思いが先に走ってしまうときもあるわけで、、、これは、たぶん、死別のやもめ族とでも言っておきますが、やもめ全般、その傾向強いんだと思うのです。

「死がふたりを分かつまで」最後は「情」だよ

たぶんなのですが、死別も離婚もせずに一生を添い遂げることができそうな年齢、例えば寿命が伸びた今ならば70歳、80歳ころまで二人共元気であるならば、「添い遂げた」と言えるのではないでしょうか?
その夫婦関係が円満に続いているのは「愛」というよりも「情」なのではないか?と思えるのです。

いえ、もう愛していない、という意味ではないのです。人はね、「恋」から始まって「愛」に走り、最後は情を加えて「愛情」に変わって行くものだと思うのです。

そうなると、共にバカ話で大笑いしつつ入れ歯を飛ばしあって生きていくようになるのです。と言いましても筆者は達成していないので確信した話ではないのですが・・・

いろいろあるにしても、それなりに幸せな家族生活を経験している、やもめはそうそう以前と同じような関係を創ることができるだろうか?そう考えるんですね。

それ、無理そうだったらやめとくか?にもなるのです。

あんまり催促されて、自分に対しての時間制限があるらしい・・・いついつまで・・・・・・じゃぁいいか。あまり待たせても申し訳ないし・・・きっと縁がなかったんだ。となるのでございます。

やもめ族というのは、そういう人々ですから、やもめ同士の再婚の方が穏やかに決まっていくのかもしれない。(あ、勝手に《族》なんてつけてごめんなさい。代表しているわけではなく筆者の感覚です)なんて思っているわけです。

あなたはまだ1番にはなっていない

これは、筆者《やもめのモアイ》の私感ですが、たとえ再婚をしたとしても、そのお相手が1番ではありません。なのです。もうですね、故人に持っていかれちゃっている部分だたくさんあるわけです。

互いが良かったとして、再婚に至ったとしても、だんだんに1番になっていって欲しいのですね。たぶんその新しい生活の中で新たに創っていくものだと思うのです。だって、忘れられませんもの、その死別が強烈であればあるほど、その思いは大きい。

大きいけれど、いまは居ないのですね。だから人恋しいのですし、寂しさを感じるのです。

人によっては「ならばあなたには再婚する資格がない」と批判する人もいるかもしれないけれど、世の中そういうものでしょ。巡り合うも巡り合わずに交差しすれ違って離れていく。だからやもめさんは遠慮しなくても良いのですよ。いろんな人とお付き合いしてみればよいのです。

やもめ同士の再婚は・・・

おそらくなのですが、やもめ同士の再婚は急ぎません。互いにわかっています。相手の気持ちも理解できますから、ゆっくり穏やかにお付き合いを進めることができますよ。

ですから、自分の思いを正直に伝えていくことです。

素直に話していくことです。

似たもの同士、相見互い、と同じような体験をした人々が集まるようなことが人間世界ではよくありますよね。よくハリウッド映画に出てくるアルコール中毒の治療している者同士グループで話し合うとか、たぶん死別者同士もあるでしょう?

それがグループではなく1対1になるわけです。それだけのこと。気を楽にして話せるのが一番ですね。大丈夫、きっと上手くお付き合いできますよ。

そしてですね。再婚を本気で望むのならば、人に相談することですよ。
自分で思う自分というのは意外と・・・なんです。だから、他者に見てもらって他者に判断してもらうのも一つの手であって、決して恥ずかしいことでもないのですから、正直に話してみればよいのです。

昔はお見合いが盛んでしたけれど、あの方式というのは今だからこそ通じるような気がします。

怖がらずに他者に相談してみる。

これけっこう行けると思うのです。


ではまたね。

《あとがき》

以前書いたのですが、こんど、

「バツイチ離婚と死別のやもめの大きな違い!」

を改めて書くことにします。

あれから約1年過ぎました。

そろそろですよね。

それにしても、今日は寒いですね。

あっちは雪が降っているそうですけど、雪が降っている方がなんか身体には良いような気がどうしてもする。

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